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あとがき

あとがき   EDF/アクチビンの研究(発見・生産・用途)をともにした亡き江藤 譲君に捧ぐ

 ワトソンンとクリックのDNA2重らせんモデルが発表されたのは1953年であった。その10年後、1963年に私は東京大学農学部農芸化学科を卒業した。大学4年間の講義でDNAの構造と機能に関する話を聞くことはなかった。

 私が入学した東京大学理科2類のほとんどの学生は、医学部、薬学部、理学部の生物化学科、動物学科、農学部に進学した。つまり私どもはみな生物学を基盤にした職業に就いたのである。ワトソン・クリックの発表から10年もたって、欧米では、DNAの構造と機能に関する分子生物学が急速に熱く展開しているというのに、私どもは在学中にいっさい新しい生物学に触れることはなかった。そのことを何かおそろしいことのように回想する。

 社会に出て数年すると、分子生物学の知識があふれるように日本の学者によって紹介されるようになった。私どもはむさぼるようにその知識を吸収した。博士課程の若い研究者が書いたものもあり、説明が下手な上に文章がこなれていなくてわかりにくく、私どもは大いに難儀をした。

 「遺伝子の分子生物学」や「細胞の分子生物学」など、米国の教科書に私どもは感動した。研究の中心地から発せられているので、最近の進歩が非常にわかりやすくしかも面白く書かれていた。物語を読むように時間がたつのも忘れて読みふけることができた。知識を詰め込むような気持ちにさせられる日本の教科書とは別物であった。この大きな違いが今でも頭から離れることがない。

 日本では明治維新以来、欧米で完成された知識を早く吸収し普及することが重要であった。新しい知識がどのような考え方から生まれたのかは二の次であり続けた。つまり、根を見ないで花だけを見ることに一生懸命であった。これでは、生み出された知識を理解できても新しい知識を生み出すことはできない。

 日本の中高の生物学の教科書に偉大な仕事を成し遂げた研究者の名前がきわめて少ない一方で、米国の中高生向け教科書では生物学の歴史をつくった人の名前が多く紹介されている。彼らがいかに興味をもち、いかに考えたかが大切なのである。日本の学校からは、既成の知識を詰め込んだ生徒は生まれても、新しい知識を生み出す生徒は生まれにくい。

 私どもは現在、米国の中高生向けの生物学教科書の翻訳出版に取り組んでいる。日本の多くの大学は、生物学の教科書として、先にあげた「遺伝子の分子生物学」や「細胞の分子生物学」などに代表される優れた米国発の教科書を使っているが、中高では、文科省の検定制度を通った教科書だけが読まれている。米国ではどの教科書を使うかは中高レベルでも現場の教師の判断にまかされている。レベルの高い学校では、自由競争によって選択された優れた教科書が使われているのである。私どもが翻訳出版に取り組んでいる米国教科書は、「遺伝子の分子生物学」や「細胞の分子生物学」を読んだときの感動と同質のものを与えてくれる。

 これからの生物学では、欧米の研究者とのきびしい競争にさらされているのであるから、子供のころから、できあがった「知識を与えられる」のではなく、生物の神秘にふれて考えて実験してみる素養を養わねばならないのではないかと思われる。そこに私どもの翻訳出版努力の原点がある。

 私どもが仕事に恵まれ家族を養えたのは、日本の優れた学者の創造的な研究の賜物であると強く感じている。彼らは、欧米のレベルに追いつかねばならない時代背景の中にあっても、欧米の研究者が考えつかないような発想のもとに、欧米にも通じる成果をあげた。その成果は独特な産業を生み、日本だけでなく世界がその製品を享受している。

 東京大学理学部化学科教授の池田菊苗は、昆布のうま味がアミノ酸の1種であるグルタミン酸に由来することを発見した。ドイツ留学から帰って、京都で育った母親の和風手料理の美味しさをテーマにしたのであった。
 協和発酵社長の加藤弁三郎は、欧米人に比べて体格の劣る当時の日本人に、良質なタンパク質を提供したいとの思いを研究担当の木下祝郎に伝えた。木下は、タンパク質ではなくタンパク質を構成するアミノ酸なら可能なのではないかと考えた。大学を出てまだ数年の鵜高重三はこのテーマを実行し、砂糖を多量なグルタミン酸に変換する細菌を発見した。 中山 清は、このようにして発見されたグルタミン酸生産菌を、やはりアミノ酸の1種であるリジンを多量に蓄積するリジン生産菌に変換した。
 その後、多くの企業研究者が関与して、ほとんどすべてのアミノ酸が、細菌を用いる方法によって大量安価に生産されるようになった。日本の技術によって生産されるアミノ酸は、栄養学をはじめとしたさまざまな研究に、また調味料として、飼料添加剤として、世界中で使われている。

 世界中の生物学の話題が分子生物学に集中し、とりわけ核酸の生合成とその調節機構が関心の的であった時代に、東京大学農学部農芸化学科教授の坂口謹一郎は核酸の分解に注目した。タンパク質の分解物であるグルタミン酸に呈味作用があるのだから、核酸の分解物の中にも呈味物質があるにちがいない、というのが坂口の直感であった。この研究に携わったのが修士の学生国中 明であった。国中はリボ核酸(RNA)の分解物であるイノシン酸とグアニル酸が呈味物質であることを明らかにした。両物質ともに、リボースの5の位置にリン酸が結合した場合に呈味性を発揮するが3の位置に結合した場合には呈味力がないことも明らかとなった。

 当時入手できるRNA分解酵素は、蛇毒酵素を除いてすべて3の位置にリン酸が付いたイノシン酸とグアニル酸を生成した。蛇毒酵素は、高価であるうえに調味料の製造にはまったく不適切であった。蛇毒酵素と同じ性質をもつ酵素が微生物の世界にも存在するにちがいない、というのが微生物学者である坂口と国中の信念であった。広い探索の末に、目的の酵素をもつカビが特定され、イノシン酸とグアニル酸の工業化に道が開かれた。

 鰹節のうま味成分であるイノシン酸と昆布のうま味成分のグルタミン酸に呈味のつよい相乗効果があることが国中の舌の上で明らかとなり、鰹節と昆布が同時に使われる和食の秘密が科学的に解明された。

 工業生産が可能になった核酸の分解物は、調味料としてだけではなく、生化学や分子生物学などの研究用試薬として、また抗がん剤、抗ウイルス剤の原料として世界で使われている。

 このような応用微生物分野での創造的な研究は、本書で紹介した麹造りと酒造りの技術に加えて鰹節と昆布が調味料として伝統的に用いられてきたという我が国特有の根があったからこそ花が開いたのであり、高峰譲吉が麹の生産するデンプン分解酵素を「タカジャスターゼ」として米国で商品化したのが最初の花であった。

 創世記に述べられているユダヤ民族祖先の自然観はガリレオやダーウインに始まる西洋の近代自然科学の展開に大きな影響与えた。同様に、麹造り、酒造り、昆布、鰹節など我が国特有の食の伝統が近代的な応用微生物学が発展する基盤であった。花を咲かせるためには根の部分がいかに重要であるかを示している。

 今や通信と交通の手段が世界的規模で進歩したので、国と国の間の壁が自然科学の分野では特に急速にうすれつつある。ある地域で発展した進歩はただちに人類共有の財産となり、同様にある地域における失敗は二度と起こさないための人類共有の資料となる。

 欧米の最新知識を吸収理解する時代を終わらせねばならない。知識を生み出した欧米の自然観や神秘に対する思考の歴史的な流れも、人類共有の財産として、特に若い人には理解してもらいたいと願う。本書はそのような願いを込めて執筆された。    [完]
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