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生物学はいかに創られたか(8) DNAへの細く長い道(8-1):グリフィス;迷宮の暗闇に見た燭光  

DNAへの細く長い道(8-1) グリフィス;迷宮の暗闇に見た燭光             柴井博四郎

 サルファ剤も抗生物質もない時代、肺炎は今以上に重篤な病気でした。英国政府の研究所であっても、訪問者がびっくり驚くほど粗末な研究施設で、グリフィスは、わずか数人のグループで各地の病院と連携しながら肺炎の研究に取り組んでいました。

 患者の痰(たん)から分離される病原菌に大別して2つのタイプがありました。病気の進行期には病原性の強いS菌が、回復期には病原性のないR菌が分離されました。S菌は寒天培地でツルツルして透明なスムース(S)・コロニーをつくり、R菌はザラザラしたラフ(R)・コロニーをつくりました。

 S菌の周辺はポリサッカライドの膜でおおわれていますが、R菌にはありません。S菌はポリサッカライドを作りつづけますから、自らの周辺をポリサッカライドで守るだけでなく、培養液にも可溶性ポリサッカライドを分泌します。

 S菌をウサギに注射すると、ウサギの血清中に抗体が形成されます。この抗体はポリサッカライドと特異的に反応し、可溶性ポリサッカライドを沈殿させます。S菌の培養液に血清を加えると、S菌も巻きこんで可溶性ポリサッカライドが沈殿し培養液が透明になります。R菌の培養液では沈殿が起こりません。

 S菌が病原性をもつのはこのポリサッカライドが原因しています。自らを守る鎧(ポリサッカライド)で周辺をかため、その鎧を絶えず作りつづけているのです。R菌には身を守る鎧が欠けています。S菌とR菌は、肺炎患者から分離されるといっても、このような性質の違いから、まったく別な種類の微生物と考えられていました。

 S菌とR菌の関連についてグリフィスは当初次のように考えていました。
1.R菌を体内にかかえている人(R菌キャリアー)がS菌に感染し、S菌が肺炎症状の原因となるのではないか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・R-S共存
2.健康なR菌キャリアーの体内で変異条件がととのい、R菌が変異によってS菌に変化し、新しく生まれたS菌が肺炎の原因となるのではないか。両者は血清に対する反応が異なるほど別な細菌なので、体内で起きる進化の証拠となるかも知れない。・・・R→S変異
3.R菌はS菌から誘導されて生じたかもしれない。体内でS菌抗体が増えてS菌の生存が困難になり遂には死滅するだろう。その過程でS菌に由来するR菌が誘導的に生じ、R菌には有効な抗原構造がなく、R菌抗体ができにくいのでR菌だけが体内で残るのではないか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・S→R誘導

 グリフィスが行なった実験とその結果を以下に紹介します。

(実験結果1)S菌をR菌に変換するのは簡単でした。
・寒天培地でS菌コロニーが現れてから2-3日後に、スムース・コロニーの端からR菌のラフ・コロニーがはみ出てきますので、この部分からR菌を分離できました。
・S菌血清でS菌を培養すると試験管の底にS菌が沈澱し、液部には多数のR菌が生育し、寒天培地で簡単にR菌コロニーが得られました。

(実験結果2)S→R変換実験で得られたR菌は不安定で、その培養液(1ml)をマウスに投与すると、マウスが発病後死亡して体内からS菌が現れました。
参考:S菌は10-8ml投与でマウスを殺す。

(実験結果3)S菌血清でS菌培養を継代して数回くり返すと、安定なR菌が得られ、マウスに投与(培養液1ml)してもマウスは発病しませんでした。

(実験結果4)安定なR菌でも、その培養液50mlに含まれる菌体を遠心分離で集菌しマウスに投与するとマウスが発病して死亡する例があり、マウスからS菌が現れました。この現象には確実な再現性がなく、5回の実験に1回というように偶然が支配していました。

 この現象をグリフィスは以下のように解釈しました。「R菌は、ポリサッカライドを合成できないが、ポリサッカライドの合成に必要な栄養素または前駆体を微量保持している。投与されたR菌の大部分は死亡するが、生き残った少数のR菌は死菌の栄養素または前駆体を利用することができる。その結果、R菌はポリサッカライドを合成し、S菌に変換できたのではないか(仮説前半)」、「ポリサッカライド合成に必要な栄養素または前駆体はS菌が多量保持しているのだから、R菌に死んだS菌を与えればR→S変換の効率が上がるに違いない(仮説後半)。」次の実験は、その考えに沿って行なわれました。

 
(実験結果5)培養液50ml分のS菌を100℃処理(後にはより適切な60℃)で殺菌し、R菌培養液(0.5ml)と一緒に投与すると、4匹のマウスはすべて死亡し、マウスからS菌が回収できました。R→S変換は偶発性ではなく、規則正しく再現できるようになりました。このR→S変換は、マウスの体内(in vivo)で観察できても、試験管の中(in vitro)では再現できませんでした。

 グリフィスの実験は深い混迷の中で行われています。しかし、上記実験結果5が迷宮の暗闇の中で大きな価値をもちながら燦然と輝いています。グリフィスのさまよった迷宮の暗闇と、実験結果5以外の結果を理解するためにも、今の時点だから言える補足説明を加えておきます。グリフィスも次回に紹介するアベリーもこの迷路をさまよったのです。
(1)自然界における肺炎菌はS菌とR菌の混合集団から成り立っています。
(2)混合集団の中では、S菌→R菌、R菌→S菌の相互変換が頻繁に起こっています。S菌から変換したR菌は、ポリサッカライド合成能を失い、同時に病原性をも失います。逆に、ポリサッカライド合成能と病原性を獲得して、R菌からS菌が生じます。
(3)混合集団におけるS菌とR菌の比率は置かれた環境によって大きく変動します。生きたマウスの中では、病原性があるS菌が数を異常に増やすことができます。
(4)一方、マウスが病気で死ぬと、R菌の生育を抑えていたマウスの抵抗力がなくなりますから、R菌が死体の中でS菌を上まわる増殖をします。R菌はポリサッカライドを合成しなくて済むので、S菌よりも増殖速度が大きいのです。
(5)コッホが完成した寒天培地・ペトリ皿による固体培養と、パスツールがもちいた液体培養は病原菌研究で幅広く用いられました。実験室における培養では、マウス死体と同じようにR菌の増殖がS菌を上まわります。液体培養を数回くり返すだけで、集団における比率は大きくR菌に傾きます。培養液から寒天培地でコロニーをつくらせれば、ほとんどのコロニーはR菌で占められます。しかし集団の中からS菌が消滅したわけではありません。1000個のコロニーの中にS菌コロニーが観察できなくても106-8個に1個あるだけでこの集団はマウスを殺せます。
(6)S菌血清でS菌を培養すると、血清がS菌の生育を抑制しますから、R菌の優先的生育はさらに強まり、集団での比率はさらに大きくR菌に傾きます。
(7)集団の中からS菌だけあるいはR菌だけを純粋に分離するのはきわめて困難でした。一つの細胞からできるコロニーは純粋な1種類の微生物から成り立っていると言えます。肺炎菌は、肺炎双球菌あるいは肺炎連鎖球菌と呼ばれます。連鎖したR菌の中に一つでもS菌細胞が入っていれば純粋分離はできません。一見純粋と見えるR菌集団でも、106-8個に1個のS菌が混じっていれば、マウスの中でS菌が優先生育し、マウスを殺すことができます。
(8)さらに困難さを増しているのはS菌とR菌の間を行ったり来たりしているDNAでした。次回に説明しますが、アベリーがこのDNAの存在を明らかにしました。R菌にこのDNAが入るとS菌になり、S菌からこのDNAが抜けるとR菌に戻るのです。S菌がいっさい入らないR菌を純粋に分離できたとしても、このDNAがR菌集団に混入すればR菌集団の中にS菌が生まれてしまいます。

 仮説の基になった実験結果4は、投与した大量のR菌に数個のS菌かまたはDNAが混入していたと考えられます。R→S変換の有効因子が死んだR菌にあるとする仮説前半は適切ではないとしても、有効因子は死んだS菌に含まれるちがいないとする仮説後半は的を獲ています。さらに、単独では変換が起こらない実験条件(R菌少量投与と死S菌大量投与)を組み合わせたことで素晴らしい真理が姿を現しました。

 自然は奥が深く、簡単にはその神秘を現わしてくれませんが、いろいろな考えをもって絶えず実験をくり返している人には、時としてグリフィスのように、予想外の真理がもたらされるものです。私どもが考えるいろいろな仮説には、的を外れて適切でないものも数多くありましょうが、中には自然と調和して自然が素晴らしい答えを恵んでくれる場合があり、科学者は深い至福を味わうのです。

 知ってみると、謎はもっと深い所にあることを知らされるだけで、つまり、何も知らないということを知ることになります。グリフィスの実験が意味するところは何なのか?迷宮の暗闇がさらに深くなったと言えます。死んだS菌が生き返ったと、考えるような時代ではなくなりました。S菌の生命を支えている何万という物質が死んだS菌の中にはあり、そのうちの何かがR菌の性質を大きく変換させることができるのです。さらに、変換によって獲得された形質は子孫に伝わるのです。

参考書
F. Griffith, (1928). The significance of pneumococcal types, Journal of Hygiene 27, 113-159.




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