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生物学はいかに創られたか(7.2) ~生物学の夜明け:細菌と病気の関係明らかにしたコッホ~

生物学の夜明け:細菌と病気の関係明らかにしたコッホ(1843-1910)              柴井博四郎(挿絵・今井孝夫)

 コッホはドイツの地方で医療に携わりながら炭疽病について研究を始めました。炭疽病で死んだ家畜の脾臓の血液をマウスに接種すると間もなく死にますが、健康な家畜の脾臓血液では発病しません。さらに進んで、炭疽菌を牛の目の体液で培養し、培養液での発病実験をくり返しました。すると、酸素が不足して、培養に適さない条件になると、炭疽菌は胞子に形を変え、そのまま休眠していますが、再び適した環境にもどすと、生育を再開するのでした。

 ある特定の微生物がある特定の病気の原因であること証明するには、純粋に分離した特定の微生物で発病実験をしなければなりません。死亡した家畜から取り出すサンプルには病原菌の他に、多数の雑菌が混在しています。炭疽病の場合も同様でした。パスツールの項で紹介した純粋分離法では、微生物含有液を高倍率で希釈し、例えば1mlに1個の微生物を含む液を調製し、それぞれを培養するのでした。この液体培養を用いた方法は数多くの実験をこなして、多くの雑菌から目的の微生物を純粋に単離するのには向いていませんでした。もっと簡便に、多種類の細菌混合液から1種類の細菌を純粋分離する方法が必要でした。

 そこでコッホは固体培養法を開発しました。ゆでたポテトを半分に切ります。死亡した家畜から取り出したサンプルを充分に希釈して、例えば1mlに20個の微生物が入った希釈液にして、その0.5mlをポテト表面に塗布します。ポテト表面には10個の微生物が一つずつ単独に散らばります。そして培養すると、それぞれの1個の微生物は分裂に分裂をくり返し、10回分裂すれば1024個の細胞から成る小さな集落(コロニー)ができ、目でも見えるようになります。それぞれのコロニーは1個の微生物に由来し、違う種類の他の微生物を含んでいないので純粋です。このようにしてポテトの表面で10種類の微生物をそれぞれ純粋に分離できるのです。コロニーの一部を針の先でかき取ってマウスに接種してその病原性を調べることができます。炭疽菌を純粋に分離し、病原性を調べ、炭疽菌と炭疽病の緊密な関係を証明できたのです。

 ポテトには良好な生育を示さない微生物もあります。特に病原菌は動物の体内で増殖しますから、肉汁によく生育します。コッホは、肉汁にゼラチンを加え、加熱殺菌してガラス板の上に撒き、冷却して固化した肉汁ゼリーをポテトの代わりに使いました。実際に使ってみると二つの欠点がありました。夏に室温が上がるとゼリーが溶けてしまうこと、また、微生物がゼラチンを溶かす酵素をもつ場合では、肉汁ゼリーは冬でも溶けてしまうのです。

 ファニー・ヘスはコッホの研究室で働く夫の実験助手でした。生まれ育ったニューヨークで、隣人から寒天を使ったフルーツゼリーの作り方を聞いて知っていました。隣人はインドネシア滞在中に、海藻からつくる寒天の料理を学んだのです。寒天を使ったフルーツゼリーはお湯の中でも溶けません。彼女は、固体培地を調整する際に、ゼラチンの代わりに寒天を使うことを夫に提案しました。結果は劇的でした。肉汁に添加された寒天は85℃で溶け、高温殺菌後の冷却で35℃になると固化します。従って、40℃程度に冷えた液状の寒天肉汁をガラス板に撒く時に、火傷対策をしなくても、人の手でできるのです。さらに、通常の微生物は寒天を分解しないので、寒天固体培地が溶けることはありませんでした。

 さらなる改良はやはりコッホの研究室のユリウス・リヒヤルト・ペトリによって行なわれました。ガラス板の代わりに蓋付きのペトリ皿(シャーレ)を考案したのです。小さな蓋付きペトリ皿(直径10cm、高さ1-2cm)に40℃近辺で液状の寒天入り肉汁を入れ、重ねて放置しておけば、数時間後には、何十枚もの寒天固体培地が得られます。

 寒天培地とペトリ皿は微生物取扱い技術を革命的に進歩させました。コッホはこのお陰で結核菌を特定でき、ノーベル賞を受賞しました(1905)。20世紀後半、ワトソンとクリックのDNA二重らせんモデル(1953)以後、分子生物学が急速に発展しますが、多くの実験がペトリ皿に入った寒天培地の上で行われました。動物や植物を使った実験では、結果が出るまでに数カ月から数年かかる場合もありますが、ペトリ皿を使う微生物実験では一晩で結果が出るのです。ペトリ皿の上から多くのノーベル賞が生まれ、生物学の根幹が形成されました。


微生物取扱い技術の革命:寒天固体培地の入ったペトリ皿
微生物取扱い技術の革命:寒天固体培地の入ったペトリ皿



 コッホは、特定の微生物が特定の病気の原因であることを証明するためには、次の4項目が満たされねばならないと提案しました。コッホの後を受け継いだ多くの研究者によって近代医学は飛躍的な発展をむかえるのです。
1.病気で死んだ動物から病原菌は採取でき、純粋に培養できる。
2.純粋に培養した病原菌を動物に投与すると発病して死亡する。
3.死亡した動物から病原菌を採取して純粋培養できる。
4.純粋に培養した病原菌を動物に投与すると発病して死亡する。

次回は10月25日、「生物学はいかに創られたか(7.3)生物学の夜明け:ダーウイン<自然選択による進化の理論>」を予定しております。


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