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バイオキッズ・サロン

第3話 醤油のルーツをたどりつつ「醤」のお話をします

醤油のルーツは古代の発酵食品「醤」です

 醤油のルーツを遡ると、約3千年前中国の周の時代の文書に記されている「醤(ショウ、ジャン)」に行きつきます。味噌も同じです。「醤」は日本語で「比之保(ひしお)」といいます。より正確に言いますとこれより約千年位遅れて大豆など穀物の醤の記述が出てきます。この大豆の醤が醤油のオリジンと言えます。

醤(ひしお)とは
醤は東アジアの食品ですがその内容は人類が数千年前から世界各地で個別に作り始めたと考えられる発酵食品です。東アジアの場合はこれを「醤」と称しました。人類は一万年位前に農耕牧畜生活を始めましたが、同時に食料を保存するニーズも生じ、天日乾燥などの他に塩蔵も行いました。いろいろな食物を塩漬けにして腐敗を防ぎながら貯蔵していると、貯蔵中に食物が「美味しくなる」場合があることに気付きました。こうして「醤」が生まれました。美味しさが生ずるのは保存中に食物の成分が分解されアミノ酸や糖類が出来たり、乳酸発酵により酸が出来たりするからです。保存中にこうした変化が起きるのは原料自体が持つ消化酵素や自然に入り込んだり添加したりする微生物の作る酵素の働きによります。
皆様に今でもおなじみのイカの塩辛やナンプラなどの魚醤、それに漬物も実は醤なのです。人類が3千年以上の昔から連綿として賞味している古代からの食品そのものです。
このようにして始まった醤は原料別に大きく3種類に分けられます。一つ目は獣,鳥、魚などを原料とする肉醤(ししびしお)」、野菜や果物からの「漬物」は2つ目で「草醤(くさびしお)」です。3つ目が今回の主題である醤油のルーツになる、穀物を原料とする「穀醤(こくびしお)」です。一つ目、二つ目の醤が時代的には先に実用になり、穀醤は遅れました。3千年前の中国の周代には肉醤と草醤の記述はありますが、穀醤の記述は無く、2千年前の後漢時代になると肉醤と共に穀醤の記述が出てきます。穀醤作りが可能になってからは肉醤よりも穀醤が主流になりました。後漢の時代以降は醤と言えば穀醤を指すようになり、特に大豆の穀醤が主流となりました。醤作りの主目的は調味料作りではなく、古代から近・現代までずっと「タンパク質源」としての「食料」でした。勿論美味であったので万人に好まれたわけですが、「調味料」が主目的なのは王侯貴族達だけであったと思われます。

醤作りに「麹」を添加するようになった・・・・・今流行の「塩麹」での調理は古代の「醤」作りの真似?
ここで興味があるのは何時からかは分かりませんが、東アジアの古代の醤作りは塩漬けしただけではなく「麹(こうじ)」を加えていることです。小魚やイカなどは内臓と一緒に塩蔵するのでそのまま醤が出来るのですが、獣肉などは麹添加の方が容易に醤に出来たのだと思います。最近「塩麹」が流行っていますね。皆さんも『鶏肉に塩麹を混ぜて冷蔵庫に数時間置いてから焼く・・・』などと調味を目的にお使いになっていると思います。皆さんはいま、古代の醤作りの真似事をしているのです。「塩麹」の麹は米に純粋の麹菌を生やしたものですが、古代ではアワなどの雑穀に自然につくカビを生やしたものを使ったようです。「麹」とはこのように穀物に有用なカビを生やしたもので、多数の酵素を多量に含んでおり、その酵素群がタンパク質分解、澱粉糖化や脂肪分解などの働きをします。                                                                                             
 東アジアでは穀物からのお酒作りに麹が使われていることはご存知ですね。メソポタミヤから西の方は大麦を発芽させた麦芽を糖化の酵素源として使いますがヒマラヤ以東の東アジアでは多湿な気候のおかげでよく生えるカビを酵素源、つまり麹を使いました。お酒だけでなく東アジアでは麹の力を食品作りに利用する風土があって、麹を古代の人は自然に醤作りに加えるようになったのでしょう。 

醤油のルーツ「大豆の醤」が誕生しました 
 このようにして醤作りに麹の添加が行われましたので、塩蔵だけでは全く分解しない穀物も酵素で分解を受け醤になります。同時期に東アジアでは「畑の肉」といわれる大豆がタンパク質に富む食料として栽培が盛んになって来ましたので、大豆の醤作りが大いに進みました。
 中国の6世紀に書かれた本『斉民要術』に大豆の醤として「醤」「豉(シ、くき)」の二つの製法の記述があります。前者はこれまでお話しした醤と同じ字ですがここでは狭い意味に使われています。この「醤」は煮た原料大豆に別に作った麹を加え発酵させます。後者の「豉」は原料の大豆を煮たあと全量にカビを生やし全部を麹にし発酵させます。前者の「醤」は半固体状で少しべたついた煮豆状であり、「豉」の方は固体状です。この「豉」は現在でも我々は賞味しています。中国の「豆豉(トーチ)」や日本の「浜納豆」「寺納豆」です。
 この大豆の醤が古墳時代に日本に伝わり、16世紀に醤油に発展するのです。特に「豉」は濃口・淡口醤油のルーツとされます。なお、溜り醤油のルーツは「醤」の方です。一方、味噌のルーツは前者の「醤」ですが、中国大陸から直接ではなく朝鮮半島で製法が変化しながら弥生から古墳時代に伝来した「未醤(ミショウ)」であると言われています。

液体の調味料への欲求は古代から強かった・・・古代から「醤油」はあった?
 さて、醤油は液体の醤という意味であると1回目で説明しましたが、そういう意味で言えば醤油は大昔からあったのです。固状ないしは半固状の醤や豉を作る時にもごく少量の液体が副生します。これを取り分け、本体は「醤」や「豉」として食用に使用し、分け取った液体は液体の調味液として利用しました。ごく少量しか取れずきわめて高価であったでしょう。それこそ王侯貴族などごく一部の人達の偶さかの用途用であったと思われます。中国の後漢の時代の資料や6世紀の『斉民要術』に「清醤」と記述されています。その後も中国でも日本でも大豆の醤から液部分を分け取り利用することは続きました。これは広い意味では「醤油」と言えます。
 このように醤を調味目的に液体状で使いたいという欲求は2千年も前からありました。そして、より多く、より安価に作りたいという思いが不断の工夫を生み、中国で13世紀、日本で16世紀に大衆も使える液体調味料としての醤油の開発に至るのです。味噌はタンパク質源としての役割が現代まで続きましたが、溜りを除きますがその後の醤油作りは食料としての目的は無く、製造の初めから全量液体の調味料作りを目的にしています。醤作りの大変革でした。日本でのこの醤油開発の経緯はまた別の回でお話しいたします。

次回は現在の日本の醤油の種類のお話をします。

ここでは「発酵食品」を必ずしも微生物の作用によるもののみでなく、動植物の酵素の作用により熟成する食品も含みます。

参考にした資料:
・飯野亮一:Food Culture, No.1,1(1999)
・横塚保著:「日本の醤油」、ライフリサーチプレス、(2004)
・松本忠久:平安時代の醤油を味わう,新風舎,東京,(2006)
・茂木孝也:醸研,22,1,(1996)
・小栗朋之:技術の系統化調査報告,10,129, 国立科学博物館刊,(2008)
・坂口謹一郎:食の文化シンポジウム‘81、東アジアの食文化,p41,平凡社(1981)
・李 盛雨:食の文化シンポジウム‘81、東アジアの食文化,p129,平凡社日本(1981)
・日本醤油協会ホームページ
・キッコーマン国際食文化研究センターホームページ
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