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第2話 大豆の英語名「soy-bean」の語源は「醤油」です!

では、第2回目のお話をしましょう。

大豆の英語名「soy-bean」の語源は「醤油」です!

 「大豆」は現在世界の主要穀物の一つであり、米国、ブラジル、アルゼンチンなど各国の主要輸出農産物であることはよくご存知のこととおもいます。この英単語は「soy-bean」です。一方、醤油と言う調味料は東アジアのローカルな出自のものですね。面白いことに、実はこの世界の主要穀物の英語名「soy-bean」の語源がこの東洋の「醤油」なのです。
 Soy-sauce(醤油)の語源がsoy-beanではなく、soy-beanの語源がsoy-sauceということです。
「soy」は醤油を意味するのです。

いきさつをご紹介します。
江戸時代に醤油が日本から欧州に輸出されていたことは先に述べましたが、江戸時代初期の1668年に長崎からオランダの商社「東インド会社」の手で初めて出荷されました。これが評判になりましたので、醤油は東洋で人気が高い調味料であり、欧州の肉料理にも加えるとおいしくなることが18世紀にはすでに欧州の人々に知られておりました。東アジアから運ばれる液体の製品ですから非常に高価な貴重品であったと思います。フランスでは醤油は当時「SOI」といっていたそうで、欧州全体でも醤油を「ソイ」とか「ソヤ」に類する音で呼んだようです。
1690年から長崎のオランダ商館に2年間医師として勤務した、博物学者でもあり「廻国奇観」の著者としても有名なドイツ人ケンペルは「日本誌」と言う本をドイツ語で書き、没後別人の訳で1727年に英語版で出版されました。醤油のことを日本で知り、その本にSoeju (Soje)と書き、common sauce of Japan(日本の常用ソース)と説明しています。
また、長崎の出島から輸出した醤油容器の陶器には「JAPANSCHZOYA」または「JAPANSCHSOYA」と書かれており、醤油を「ZOYA」,「SOYA」と表しています。従って欧州での呼び名と日本での呼び名は音でほぼ一致している事が分かります。
 
一方大豆ですが、西洋には他の豆類は多種あったのですが、18世紀の時点では大豆は無く、植物としても知られていなかったようです。
江戸時代の中ごろ1775年、長崎のオランダ商館に今度はツンベルグと言うスエーデン人の医者であり植物学者でもある人が赴任してきました。彼はリンネの弟子であり、後にウプサラ大学の総長にもなった人です。一年半日本に滞在して、江戸にも行き将軍にも会っています。日本滞在中に植物を採集して持ち帰り、約800種の日本の植物を記載した「日本植物誌」を1784年に欧州で刊行しました。このとき「大豆」を欧州に紹介し、「日本植物誌」に名称を「SOYA  BOHNE」と命名して記載しています。Bohnenはドイツ語では「豆」ですから「醤油の豆」となります。
ツンベルグは醤油についても関心があり、彼は欧州で「日本紀行」と言う紀行文も出版し、なかで『(・・・日本のお茶は品質が悪いが、)代わりに非常に上質の醤油を造る。中国のより上質である。多量にバタビア、インド、ヨーロッパに運ばれる』と述べています。日本滞在中に醤油を知り高く評価したうえ、大豆が醤油の主原料ということを知ったのです。そこで、大豆の欧名を決めるときに「醤油をつくるのにつかわれる豆」として「SOYA BOHNE」と命名したのだと思います。その英語が「soy-bean」なのです。このような経緯で「大豆」の英語などの欧州各国語名称は「醤油」にちなんで「醤油の豆」と言う名称になったのです。

このsoyが醤油を意味することはお分かりになったと思いますが、日本語の醤油からなのでしょうか?中国の方が3世紀くらい早く醤油と言う言葉が現れていることから、日本からの醤油より前に中国からの醤油が欧州に流れて、中国語からの「SOI」「SOYA」になったのでしょうか?
江戸時代の長崎をふくむ肥前地方では醤油を「ソヤ」と呼んでいたそうですし、ケンペルも上述のように醤油はSoeju (Soje)と聞き取りました。また中国の醤油製法は20世紀まで陶器の甕を庭に並べて造る家内自家製造的でした。一方日本の醤油はすでに当時工業生産段階に入っていましたので、先述のオランダ東インド会社による通商により、欧州では日本の醤油が先に広がったことは確からしいと思います。現地語の「SOI」「SOYA」そして「soy」は日本語の醤油を呼ぶ音から来たと思います。

タイトルと若干話題が離れますが、作物としての大豆について少々述べてみます。
大豆の原産地は中国東北部かシベリアの説が有力です。東アジアに広く分布している野生のツルマメが原種であり約5千年前から作物化されました。日本にも縄文時代中期にすでに栽培種大豆が存在していたようです。このように東アジアでは古くから大豆が利用され、18世紀の段階では東アジアは勿論東南アジアでも栽培と食用への利用が盛んでした。現在も多様な種類の食材となっております。日本で言えば、もやし、枝豆、完熟大豆(料理食材)、きな粉、納豆、豆腐、豆乳、おから、湯葉、高野豆腐、油揚げ、食用油と醤油・味噌の原料と多彩です。
ところが、大豆は欧州には日本の醤油が介在した上述の経緯で近年の18世紀になってやっと伝播しました。その後も欧州や米国では食用ではなく、少量の搾油用やプラスチック原料などの種子の工業原料用が主な栽培目的で、1910年までは大豆はアジア以外では重要作物ではありませんでした。ところが、1915年に米国南部の綿花が害虫の被害で大打撃を受け、綿実油が不足したことにより、大豆が一気に主要製油原料として脚光を浴びてきたのです。同時に副生する脱脂大豆も飼料用として需要が増え、大豆が大規模に栽培されるようになり、今日の隆盛を迎えることになった訳です。冒頭に述べましたように、現在では年間1千万トン以上生産する国が、1億トンの米国を筆頭に、ブラジル、アルゼンチン、中国、インドと地球上各地に広がり、世界の主要農産物になっております。その欧米での名称の語源が醤油なのです。

皆さまには醤油は日本的なローカルな存在に見えるでしょうが、ここにご紹介しましたように江戸時代にすでに世界的な広がりの中で活躍していたのです。

次の3回目は醤油のルーツのお話をします。
醤油も味噌もルーツは大陸において3000年前の文書に記述のある「醤(ひしお、ショウ、ジャン)」です。

参考にした資料:
・横塚保著:「日本の醤油」、ライフリサーチプレス、(2004)   
・キッコーマン国際食文化研究センターホームページ
・日本醤油協会ホームページ 
・飯野亮一:Food Culture, No.5,12、13,(2003)
・「ツンベルグ日本紀行」、p.463山田珠樹訳注、駿南社(1928):google books
・早川 勇:「言語と文化」No.8,119 、愛知大学語学教育研究室紀要(2003)
・「ダイズ」、フリー百科事典『Wikipedia』、Google

          
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