第1話 「醤油」はいつ頃からあるの? なぜ「油」というの?
はじめに ――こんなことをお話ししようと思います
このバイオキッズサロンではいま「バイオおじさん」による「生物学は如何にして創られたか」の連載が佳境に入っております。大変為になる面白いお話ですね。
これから並行して連載される私のお話は「お醤油」についてです。このたびは「醤油の科学知識」ではなく醤油に関する「あれこれ話し」をしようと思います。科学知識欲の強い皆さま方はがっかりされると思いますが、醤油に、より興味を持って頂きそれを通じてバイオを、より身近に感じて頂ければと願っております。
バイオの働きで出来た「発酵食品」が、いま世間では大変もてはやされております。健康に良いことや、料理に使うとおいしいことが焦点ですね。後者を代表する醤油もその一つであり、私たちの食生活を豊かにする、なくてはならぬパートナーです。固体の穀物が醸造工程を通して、あの澄んだおいしい液体に変化するのです。バイオの働きの素晴らしさ、不思議さの代表とも言えます。
醤油の醸造と利用は東アジアで盛んですが、特に日本の醤油は品質的に優れていると評価されています。日本の食文化を体現するバイオ製品である醤油を、皆様がさらに身近に感じて下さるように、肩の凝らないいろいろな醤油にまつわるお話――ルーツ、発達史、醤油の仲間(味噌、魚醤など)、日本の醤油の評判、西洋と醤油など――をとりとめもなくご紹介しようと思います。
若干は触れるかもしれませんが、技術論は別の機会にさせて頂きます。
「醤油」はいつ頃からあるの? なぜ「油」というの?
「醤油」という名前の液体の調味料が世の中に現れたのは日本では16世紀でした。江戸時代に入る直前です。中国では13世紀に文献上「醤油」と言う文字が出てきますが、その製法や品質などは14-16世紀の文献に書かれ、現在でも中国を含む東・東南アジアで広く行われている、甕(かめ)を並べで天日を利用して造る伝統的中国醤油とほぼ同じ製法と思われます。これと16世紀に生まれた日本の「醤油」の製法は違い、開発経緯や製品品質が異なっています。従って、今の醤油は日本人の発明であると言う見方があります。
醤油は醸造により、穀物のたんぱく質が分解して生じたアミノ酸のうま味が中心の、「液体」の調味料です。この「液体」であることがポイントなのです。醤油が現れる前には、古く中国の後漢の時代の頃から、穀物を食塩を加えて発酵させた固体ないし半固体状の食品があり、美味しいので調味料としても使われてきました。これを「醤(ひしお、ショウ、ジャン)」といいます。液状の調味料への願望はこの初期の時代からありました。人々はこの醤から液体部分を苦心して分けとり、液状の調味料として使う努力をしていました。少量しか取れず、高価であったので、王侯貴族らのたまさかの用途用であったと思います。この液体の醤への欲求は中国は勿論、醤が伝来したのちの日本でもずっと続きました。13ないし16世紀になって、やっと大衆にまで使える、安価で多量に生産できる「液体の醤」が誕生しました。このことは数千年にわたる時を通しての人々の熱望が結実したことを意味します。
醤とこの醤油誕生のお話は後日別の項で詳しく触れたいと思います。
醤油となぜ名付けられたのでしょうか?それも中国と日本で別々に・・・。漢字の「油」は食用油の「油」の「OIL」を意味する漢字ではないそうです。「とろりとした液体」を意味するのだそうです。醤の中の水気部分は「油」であるわけです。醤油は、日常食べている固・半固体状のおいしい「醤」が、調味料として使いやすい液体状に、全量なっているわけですので、「液体の醤」を意味する「醤油」と自然に呼ばれたと思います。中国の文献で醤油名は先行していましたので、独自に生まれたとはいえ同様な液体を日本でも醤油と呼ぶようになったと思います。
現在の日本の醤油の味はほぼ江戸時代に出来上がりました。醸造家達により工業生産化され製品は市場に出回り、商品として発展して来て、品種、ブランドも生まれ、お客さんに支持されてきました。こうして、世界一の大都市であった江戸市民を魅了すると同時に、アジア各地やヨーロッパにも長崎から輸出され、欧州各国の宮廷料理の隠し味としても珍重されたと言われています。
清酒醸造も同様であったと思いますが、醤油醸造には農産物から製品を造る際に品質に影響する無数の因子があります。これらをコントロールして一定品質の製品を造るには高い技術力・技能力が必要です。すでにあの江戸時代、一定品質の製品を当時の醸造家達はユーザーに届けていたのです。科学知識、機器や技術が未発達な、温度計さえ無い時代に、先人達がこうありたいという思いを持ち、年単位と言う途方もない時間のかかる試みを経て、因果関係を究明しながら造り方を最適化していった訳です。微生物の概念が無い時代ですが、醸造家たちは醸造には生命活動(バイオ)的なものが働いているという感覚を無意識に持っていたのではないかと思います。そして、「バイオおじさん」のお話しにある偉人達に類するような、きめ細かな観察と「なぜ、なぜ、なぜ」の問いかけを続けながら、拙いながらも「科学的」なアプローチを行っていったのではないかと思います。先人たちがこのようにして思いを実現していったことを想像すると頭が下がります。
次回は大豆の英語名は醤油にちなんで付けられたというお話をします。
(注)
1)ここでは「発酵」と言う言葉をいま一般に使われているように広い意味で使いました。生化学的に厳密な意味ではアルコールなどを生ずる解糖反応を指します。
2)参考にした資料:
・飯野亮一:Food Culture, No.1,1(1999)& No.3,20,(2001)
・キッコーマン国際食文化研究センターホームページ
・日本醤油協会ホームページ
・横塚保著:「日本の醤油」、ライフリサーチプレス、(2004)
このバイオキッズサロンではいま「バイオおじさん」による「生物学は如何にして創られたか」の連載が佳境に入っております。大変為になる面白いお話ですね。
これから並行して連載される私のお話は「お醤油」についてです。このたびは「醤油の科学知識」ではなく醤油に関する「あれこれ話し」をしようと思います。科学知識欲の強い皆さま方はがっかりされると思いますが、醤油に、より興味を持って頂きそれを通じてバイオを、より身近に感じて頂ければと願っております。
バイオの働きで出来た「発酵食品」が、いま世間では大変もてはやされております。健康に良いことや、料理に使うとおいしいことが焦点ですね。後者を代表する醤油もその一つであり、私たちの食生活を豊かにする、なくてはならぬパートナーです。固体の穀物が醸造工程を通して、あの澄んだおいしい液体に変化するのです。バイオの働きの素晴らしさ、不思議さの代表とも言えます。
醤油の醸造と利用は東アジアで盛んですが、特に日本の醤油は品質的に優れていると評価されています。日本の食文化を体現するバイオ製品である醤油を、皆様がさらに身近に感じて下さるように、肩の凝らないいろいろな醤油にまつわるお話――ルーツ、発達史、醤油の仲間(味噌、魚醤など)、日本の醤油の評判、西洋と醤油など――をとりとめもなくご紹介しようと思います。
若干は触れるかもしれませんが、技術論は別の機会にさせて頂きます。
「醤油」はいつ頃からあるの? なぜ「油」というの?
「醤油」という名前の液体の調味料が世の中に現れたのは日本では16世紀でした。江戸時代に入る直前です。中国では13世紀に文献上「醤油」と言う文字が出てきますが、その製法や品質などは14-16世紀の文献に書かれ、現在でも中国を含む東・東南アジアで広く行われている、甕(かめ)を並べで天日を利用して造る伝統的中国醤油とほぼ同じ製法と思われます。これと16世紀に生まれた日本の「醤油」の製法は違い、開発経緯や製品品質が異なっています。従って、今の醤油は日本人の発明であると言う見方があります。
醤油は醸造により、穀物のたんぱく質が分解して生じたアミノ酸のうま味が中心の、「液体」の調味料です。この「液体」であることがポイントなのです。醤油が現れる前には、古く中国の後漢の時代の頃から、穀物を食塩を加えて発酵させた固体ないし半固体状の食品があり、美味しいので調味料としても使われてきました。これを「醤(ひしお、ショウ、ジャン)」といいます。液状の調味料への願望はこの初期の時代からありました。人々はこの醤から液体部分を苦心して分けとり、液状の調味料として使う努力をしていました。少量しか取れず、高価であったので、王侯貴族らのたまさかの用途用であったと思います。この液体の醤への欲求は中国は勿論、醤が伝来したのちの日本でもずっと続きました。13ないし16世紀になって、やっと大衆にまで使える、安価で多量に生産できる「液体の醤」が誕生しました。このことは数千年にわたる時を通しての人々の熱望が結実したことを意味します。
醤とこの醤油誕生のお話は後日別の項で詳しく触れたいと思います。
醤油となぜ名付けられたのでしょうか?それも中国と日本で別々に・・・。漢字の「油」は食用油の「油」の「OIL」を意味する漢字ではないそうです。「とろりとした液体」を意味するのだそうです。醤の中の水気部分は「油」であるわけです。醤油は、日常食べている固・半固体状のおいしい「醤」が、調味料として使いやすい液体状に、全量なっているわけですので、「液体の醤」を意味する「醤油」と自然に呼ばれたと思います。中国の文献で醤油名は先行していましたので、独自に生まれたとはいえ同様な液体を日本でも醤油と呼ぶようになったと思います。
現在の日本の醤油の味はほぼ江戸時代に出来上がりました。醸造家達により工業生産化され製品は市場に出回り、商品として発展して来て、品種、ブランドも生まれ、お客さんに支持されてきました。こうして、世界一の大都市であった江戸市民を魅了すると同時に、アジア各地やヨーロッパにも長崎から輸出され、欧州各国の宮廷料理の隠し味としても珍重されたと言われています。
清酒醸造も同様であったと思いますが、醤油醸造には農産物から製品を造る際に品質に影響する無数の因子があります。これらをコントロールして一定品質の製品を造るには高い技術力・技能力が必要です。すでにあの江戸時代、一定品質の製品を当時の醸造家達はユーザーに届けていたのです。科学知識、機器や技術が未発達な、温度計さえ無い時代に、先人達がこうありたいという思いを持ち、年単位と言う途方もない時間のかかる試みを経て、因果関係を究明しながら造り方を最適化していった訳です。微生物の概念が無い時代ですが、醸造家たちは醸造には生命活動(バイオ)的なものが働いているという感覚を無意識に持っていたのではないかと思います。そして、「バイオおじさん」のお話しにある偉人達に類するような、きめ細かな観察と「なぜ、なぜ、なぜ」の問いかけを続けながら、拙いながらも「科学的」なアプローチを行っていったのではないかと思います。先人たちがこのようにして思いを実現していったことを想像すると頭が下がります。
次回は大豆の英語名は醤油にちなんで付けられたというお話をします。
(注)
1)ここでは「発酵」と言う言葉をいま一般に使われているように広い意味で使いました。生化学的に厳密な意味ではアルコールなどを生ずる解糖反応を指します。
2)参考にした資料:
・飯野亮一:Food Culture, No.1,1(1999)& No.3,20,(2001)
・キッコーマン国際食文化研究センターホームページ
・日本醤油協会ホームページ
・横塚保著:「日本の醤油」、ライフリサーチプレス、(2004)
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