生物学はいかに創られたか(2)~生き物は神がつくった~
生き物は神がつくった 柴井博四郎
約三千年前、一人のユダヤ人が、この宇宙と地球がどのようにでき、生き物がどのように地球に現れたのだろうかと、考え始めました。彼の考えたことが聖書の創世記に書かれています。私なりの理解の仕方で、生物を中心にして、次のように要約します。「混沌と暗闇だけがあった。そこに光があらわれて、明と暗が分かれた。陸上に植物が現れ、海の魚と空の鳥がつづいた。次に、陸上に動物が現れ、最後に人間があらわれた。生き物の中でいちばん賢い人間でも、生き物をつくれないのだから、人間よりはるかに能力のある神がいるにちがいない。その神が光をつくって、すべての生き物をつくった。」
この科学者にとっていちばん重要な結論は、人間をこえた神がいるのではないか、という考えでした。生き物にかぎらず、太陽や月や星など自然にあるものは神秘に満ち、いくら考えても自分ではつくれないし動かすこともできません。自分が見ることができる自然の神秘はすべて神がつくった、と考えたのです。人間は、考えに考え、できる限りの努力をかさねた末に、自分では解決できない問題に遭遇した時、神仏に頼るのは昔も今もかわりません。聖書にはいろいろな場面で、人間の必要性に応じた神が登場します。戦争に勝つことを祈願する神であったり、悪事を働いたときに罰を受けたり、許しを乞う神であったりしますが、聖書にあらわれた最初の神が、つまり最初にユダヤ民族が必要とした神は自然の神秘をつくる神、つまり自然科学の神であったことは記憶にとどめておいて下さい。
このユダヤ人が考えた神は、生き物や太陽、月、星をつくりだした神で、その後、その神がユダヤ人の神となり、キリスト教の神となりました。キリスト教がヨーロッパで大きな権力をもつようになりましたから、創世記に書かれたことは、長い間、絶対的な真理として、人々の間で定着しました。創世記から2500年以上もたって、ガリレオやダーウインが考えだした説は、創世記に書かれていることとは反対でしたので、教会や人々からも受け入れられませんでした。創世記が近代自然科学の発展を邪魔することになってしまったのです。しかし、もし創世記を書いたユダヤ人が生きていて、ガリレオやダーウインと話し合ったら、一緒の意見になったことでしょう。彼らは科学的な姿勢をもっていたからです。
創世記に書かれていることは、何も分っていない大昔に考えられたこととしては、素晴らしい内容を含んでいるので、今でも科学者に読まれるのです。アインシュタインは、16歳のときに、「もし光と一緒に動いたら世界はどのように見えるだろうか」と考えはじめ、その10年後に相対性原理が完成しました。少年時代、熱心に通ったユダヤ教会で、何回も読んだ創世記が影響していたのではないかと想像したくなります。アインシュタインが切り開いた理論物理学の学会で、「神はサイコロを振らない」と思わず発言したことがあります。目で見えるような物体が目で見えるような速度で運動した場合には、出発点が分かれば到着点は、ニュートンの力学で計算できるのですが、電子のような微粒子が光に近いような速度で動いた場合には出発点が分っていても到着点は確率的にしか予測できない、と議論された時のことでした。思春期になり理性が発達し、ユダヤ教会からも神からも疎遠になっていたと思われるアインシュタインの発言に皆びっくりしたのでした。自然の神秘の調和はサイコロが(確率的に)決めるものではなく、神がつくりだすものと主張したアインシュタインに、創世記の影響が感じられます。ユダヤ人から多くのノーベル賞受賞者が出るのも、創世記を書いた科学者の伝統が脈々と受け継がれているからだと思われます。渋谷のユダヤ教会を訪ねた際に、「人類がかかえている未解決の問題を私どもが解決したいと考えている」と、科学者でもない牧師から聞いたとき、びっくり驚いたものでした。
アインシュタインだけではなく、近代自然科学を開いたガリレオ、ダーウイン、ホーキングなどの科学者は科学的考察の原点である創世記に大きな影響を受けながら、神の関与しない宇宙創造、神の関与しない種の起源にたどり着いたのでした。
さて、創世記の科学者は太陽が東の空からのぼり西の空に落ちてゆくのを見て、人間が時間を知るように神が太陽をつくってくれたと、考えました。太陽が地球の周りをまわり、人間に一日の時間の流れを知らせていると、考えたのです。今の人でも、もし何も教えられなければ、太陽が地球の周りをまわっていると思うにちがいありません。自分の目で太陽がまわっているのを見ているのですから。このことから、自分が見たまま、そして考えたままのことが正しいとは限らない、という教訓を学ばなければなりません。科学者でも、最初は、自分が見たまま考えたままが正しいと考えやすいのですが、実験で自分の考えが正しいかどうかを調べたり、他の科学者と話したりして、自分の考えを修正し少しずつ正しい真理に近づくのです。
キッズたちは生き物が地球に現れた順序をどのように考えるでしょうか。いろいろな根拠をもとにいろいろな意見があるでしょう。友人たちと話し合い、友人の意見を参考にして自分の考え方を修正することもできます。自分たちの考え方や創世記に書かれたことが正しいかどうかは、学校で勉強するにつれて次第に分かってくるでしょう。その答を知って憶えることよりも、その前に自分の考えをもつということがとても大切なことです。また自分の考えはまちがっているかもしれないという謙虚さをもつことも大切です。友人と話しあい、勉強して勇気をもって自分の考え方を変えられれば、新しい意見をもつことができます。自分の考えをもち修正し、また考えて修正し、それをくり返すことで正しい真理に近づくことができます。
次回は、3月25日に、アリストテレスの「生物は湧く(わく)」とレデイの「ウジは湧かない」を予定しております。
約三千年前、一人のユダヤ人が、この宇宙と地球がどのようにでき、生き物がどのように地球に現れたのだろうかと、考え始めました。彼の考えたことが聖書の創世記に書かれています。私なりの理解の仕方で、生物を中心にして、次のように要約します。「混沌と暗闇だけがあった。そこに光があらわれて、明と暗が分かれた。陸上に植物が現れ、海の魚と空の鳥がつづいた。次に、陸上に動物が現れ、最後に人間があらわれた。生き物の中でいちばん賢い人間でも、生き物をつくれないのだから、人間よりはるかに能力のある神がいるにちがいない。その神が光をつくって、すべての生き物をつくった。」
この科学者にとっていちばん重要な結論は、人間をこえた神がいるのではないか、という考えでした。生き物にかぎらず、太陽や月や星など自然にあるものは神秘に満ち、いくら考えても自分ではつくれないし動かすこともできません。自分が見ることができる自然の神秘はすべて神がつくった、と考えたのです。人間は、考えに考え、できる限りの努力をかさねた末に、自分では解決できない問題に遭遇した時、神仏に頼るのは昔も今もかわりません。聖書にはいろいろな場面で、人間の必要性に応じた神が登場します。戦争に勝つことを祈願する神であったり、悪事を働いたときに罰を受けたり、許しを乞う神であったりしますが、聖書にあらわれた最初の神が、つまり最初にユダヤ民族が必要とした神は自然の神秘をつくる神、つまり自然科学の神であったことは記憶にとどめておいて下さい。
このユダヤ人が考えた神は、生き物や太陽、月、星をつくりだした神で、その後、その神がユダヤ人の神となり、キリスト教の神となりました。キリスト教がヨーロッパで大きな権力をもつようになりましたから、創世記に書かれたことは、長い間、絶対的な真理として、人々の間で定着しました。創世記から2500年以上もたって、ガリレオやダーウインが考えだした説は、創世記に書かれていることとは反対でしたので、教会や人々からも受け入れられませんでした。創世記が近代自然科学の発展を邪魔することになってしまったのです。しかし、もし創世記を書いたユダヤ人が生きていて、ガリレオやダーウインと話し合ったら、一緒の意見になったことでしょう。彼らは科学的な姿勢をもっていたからです。
創世記に書かれていることは、何も分っていない大昔に考えられたこととしては、素晴らしい内容を含んでいるので、今でも科学者に読まれるのです。アインシュタインは、16歳のときに、「もし光と一緒に動いたら世界はどのように見えるだろうか」と考えはじめ、その10年後に相対性原理が完成しました。少年時代、熱心に通ったユダヤ教会で、何回も読んだ創世記が影響していたのではないかと想像したくなります。アインシュタインが切り開いた理論物理学の学会で、「神はサイコロを振らない」と思わず発言したことがあります。目で見えるような物体が目で見えるような速度で運動した場合には、出発点が分かれば到着点は、ニュートンの力学で計算できるのですが、電子のような微粒子が光に近いような速度で動いた場合には出発点が分っていても到着点は確率的にしか予測できない、と議論された時のことでした。思春期になり理性が発達し、ユダヤ教会からも神からも疎遠になっていたと思われるアインシュタインの発言に皆びっくりしたのでした。自然の神秘の調和はサイコロが(確率的に)決めるものではなく、神がつくりだすものと主張したアインシュタインに、創世記の影響が感じられます。ユダヤ人から多くのノーベル賞受賞者が出るのも、創世記を書いた科学者の伝統が脈々と受け継がれているからだと思われます。渋谷のユダヤ教会を訪ねた際に、「人類がかかえている未解決の問題を私どもが解決したいと考えている」と、科学者でもない牧師から聞いたとき、びっくり驚いたものでした。
アインシュタインだけではなく、近代自然科学を開いたガリレオ、ダーウイン、ホーキングなどの科学者は科学的考察の原点である創世記に大きな影響を受けながら、神の関与しない宇宙創造、神の関与しない種の起源にたどり着いたのでした。
さて、創世記の科学者は太陽が東の空からのぼり西の空に落ちてゆくのを見て、人間が時間を知るように神が太陽をつくってくれたと、考えました。太陽が地球の周りをまわり、人間に一日の時間の流れを知らせていると、考えたのです。今の人でも、もし何も教えられなければ、太陽が地球の周りをまわっていると思うにちがいありません。自分の目で太陽がまわっているのを見ているのですから。このことから、自分が見たまま、そして考えたままのことが正しいとは限らない、という教訓を学ばなければなりません。科学者でも、最初は、自分が見たまま考えたままが正しいと考えやすいのですが、実験で自分の考えが正しいかどうかを調べたり、他の科学者と話したりして、自分の考えを修正し少しずつ正しい真理に近づくのです。
キッズたちは生き物が地球に現れた順序をどのように考えるでしょうか。いろいろな根拠をもとにいろいろな意見があるでしょう。友人たちと話し合い、友人の意見を参考にして自分の考え方を修正することもできます。自分たちの考え方や創世記に書かれたことが正しいかどうかは、学校で勉強するにつれて次第に分かってくるでしょう。その答を知って憶えることよりも、その前に自分の考えをもつということがとても大切なことです。また自分の考えはまちがっているかもしれないという謙虚さをもつことも大切です。友人と話しあい、勉強して勇気をもって自分の考え方を変えられれば、新しい意見をもつことができます。自分の考えをもち修正し、また考えて修正し、それをくり返すことで正しい真理に近づくことができます。
次回は、3月25日に、アリストテレスの「生物は湧く(わく)」とレデイの「ウジは湧かない」を予定しております。
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